各党のアメ帝との関係付け論理考 |
終戦記念日声明論評 | れんだいこ | 2003/08/15 |
終戦記念日に当り、与野党が声明を発表している。毎日新聞社版を参照し、これをもじる。 自民党は、「国際社会の一員としてテロ撲滅をはじめとした平和構築への責務を果たしていく。人々が心豊かで安心して暮らせる社会を実現するため全力を尽くす」とある。 国連との絡みが出ていないところを見れば、どこまでも小ブッシュ桃太郎はんのお供をして、ポチとなりキジとなり猿となって「平和の為の戦争」にお出かけしていくつもりのようだ。結構毛だらけ猫灰だらけの終戦記念日声明であることよ。 公明党は、「紛争地域などの平和構築にも積極的・効果的な国際貢献が重要だ。自国のみの平和を追求する消極的・閉鎖的な平和主義はもはや許されない」とある。 元来宗教政党のこの党の常に法敵を求める精神が漲っているわな。「消極的・閉鎖的な平和主義はもはや許されない」論は、紛れもない聖戦論と云うべきで、「平和の為の戦争」がお好きなようだ。その釈伏精神は良いとしても相手があることだから、いつの日かキャインキャイン云わされることになるだろう。 保守新党は、「過去の歴史を教訓に近隣諸国をはじめ世界各国との友好協力の関係を一層強化するとともに、国際社会の一員としての責務を果たさなければならない」とある。 「国際社会の一員としての責務」を自民党的にポチ化論で接続するのなら論旨は通ずるが、「近隣諸国をはじめ世界各国との友好協力の関係を一層強化」と並べて云うと、結局何が云いたいのか本音が分からなくなるでないの。結局何にも云っていないことになりズバリヌエ政党ということになる。 民主党は、「平和への構想も戦略もない政府の外交・安保政策に危機感を抱く。軍縮など積極的で主体的外交を展開し、国連中心の平和構築への体制強化をめざす」。 ここで初めて「国連中心論」が出たわな。しかし、国連はそれほど信用できる機関かいな。 自由党は、「日本が再び過ちを繰り返してはならないとの思いを新たにし、国連の平和活動への積極的な参加などを通じて人類の平和と繁栄のために全力を挙げる」。 やっぱ「国連中心論」ですわな。これで解決すると思ったら大間違いだろうに。これで思考が中止できるならおめでたいことですな。 共産党は、「米国の一国覇権主義に追従する小泉内閣の進む道は世界から孤立する道だ。憲法の平和的原則を生かし、アジアと世界の平和をめざして全力を挙げる」。 これはこれで一つの見識だろう。しかし、「憲法の平和的原則」を護持せんとしているのかと思ったら、実際にやっているのはその反対で、こたびの綱領改定では何でもかんでも現状追認にシフト変え。本音は一体どっちやねん。舌がもつれるぞな。それとさ、「国連中心論」出したり引っ込めたり、調法な口し過ぎているわな。 社民党は、「有事法制に続くイラク特措法は平和主義を歩んだ戦後日本の歩みを破壊する。平和を願う人々と手を携え、戦争を放棄した憲法をいかすために奮闘する」。 おっ、ふるさとへ戻ったような気分でほっとするな。しかしだな、今やおしゃべりだけでは何にもならないんだな。現に平和主義の最後の一線が暴力的に壊されようとしているんだから、これに抗するにはブント式決戦論の方が相応しい。「云うだけ云って裏で駆け引き」つうのがこの党の宿アだけれども、土井のおばちゃまはこれを改めるのに何がしか功あったかな。 結論。戦後憲法秩序がゼッ素晴らしい、賢明、力強いものだという認識に立って、目下のポチ系タカ派勢力と非妥協的に闘い、お追従勢力の提携線を粉みじんに砕き、日本土着式左派戦線の構築目指して進撃し、ヌエ勢力の三枚舌を引き抜き(これは、例え)、面白い国づくりしてみたいもんだな。 恐らく靖国の御霊は、これを欲していると思う。「あの戦争は無謀だった。強いアメリカに立ち向かうのは馬鹿げていた。だから今こそブッシュ一途、誰よりもどこまでも」なんて云う小泉はんに何度参拝されても、迷惑なことだろうし気色悪いわな。だから、れんだいこが、喝。 |
(私論.私見)