国家百年の歩み考 |
面白い「現代日本百年考」に出くわしたのでこれを書き付けてみる。「別冊歴史読本」の「昭和秘史歴代総理と財界巨頭」(1987.11.15日発行)の冒頭文、今井久夫氏の「政・財界癒着と対立の百年」には次のように書かれている。 「政界と財界の関係を何にたとえようか。親子とも云えるだろう。兄弟といってもいいかも知れない。あるいは主従のつながりがないといえば嘘になる。しかし、もっとも自然で、もっとも普遍的な関係は夫婦のそれに尽きる。政界と財界は明治の初めに結婚式を挙げた仲のいい夫婦だ。一緒になって1世紀を超える。金婚式どころではない。 仲がいいといっても、夫婦にケンカはつきものだ。時には犬も食わない夫婦ゲンカを繰り広げたこともある。しかし、ケンカしていても夫婦は夫婦だ。共通の利害には敏感に反応する。得をすると思えば、夫婦ともども戦線を張ってあくまでもそれを追求してやまない。反対に損する問題は互いによけて通る。もしトラブルに巻き込まれれば、互いに責任をなすり合い、ののしり合うことも辞さない。 しかし、ののしり合いも、これ以上進めば夫婦の基本的部分にヒビが入ると悟ればピタリと中止する。あとは一致協力して外圧に当たり、外敵を排除する。政界と財界のこの百年余りを振り返ってみると、そんな夫婦を連想しないわけにはいかない。 新婚間もない頃、世界の荒波に放り出されて、ただ生きるために一所懸命に働いた。甘い新婚気分などみじんも無い。真剣勝負の毎日だった。その甲斐あって貧乏世帯もどうやら格好がつくようになる。しかし出る杭は打たれる。隣の清国(今の中国)や露国(今のソ連)と一悶着起こす。しかし夫婦力を合わせて、この商売敵を打倒する。かくて日本はアジアの雄となり、世界の強国の仲間に入る。 第一次世界大戦では漁夫の利を占め、夫婦の財産はまた一段とふくらんだ。しかし、この後反動として不景気がくる。間口を狭くして、それなりに対応すれば、何とかやりくりができたかも知れない。しかし、ひとたび拡げた世帯を縮めるのは困難だ。逆に外に向って膨張政策をとる。満州に進出し、中国に侵入する。そして、とうとうアメリカを向こうにまわして第二次世界大戦をおっぱじめてしまった。夫婦は死に物狂いで頑張った。しかし多勢に無勢、最後には刀折れ矢尽きて両手を挙げた。国土は焼け野原と化し、財産はすべて灰塵と消えた。裸一貫からのやり直しだ。 全てを失った夫婦は呆然として立ち尽くすばかりだった。しかし気を取り直して、空き腹をかかえながら働きはじめた。ただ汗水たらして働きに働いた。それから42年の時が流れた。気が付いてみると、腹は一杯だ。いい家に住んで居る。財布は札束ではち切れそうだ。夫婦は互いに顔を見ながら『オヤ』というような表情を浮かべている。そこになにがしかの満足と、なにがしかの当惑の表情がある。日本の政界と財界の夫婦物語を駆け足で語れば、ざっと以上のような関係になる」。 以上、「のん気な父さん」ぶりの纏め方ではある。全体として戦後ハト派の観点から捉えているようであるがなかなかの名文でもある。これが書かれたのは1987年であるから、ポスト中曽根から竹下首相誕生の頃のことになる。末尾に「なにがしかの満足と、なにがしかの当惑の表情」とあるが、これが15年ほど前の率直な感慨であろう。その頃から15年今や、「思い起こせば返す返すも残念の表情」に変わっているならこの国は大丈夫だ。 相変わらず「のん気な父さん」ぶりで、やれイラクだ、北朝鮮だ、ブッシュはんの仰せなら地の底空の果てまでお供しまっせ、打ち出の小槌さん頼んまっせエイエイオーなる首相を抱えて、新たに3年お付き合いせねばならんとすればもうオワだ。取り返しのつかない空白3年の上に又3年だ、一体どういうことになるりかこの国は。しかし、我が支配者層はこのオワの道がよほどお気に入りらしい。ポストと利権飴を咥(くわ)えさせられたら途端にお利巧、途端にはしゃぐはしゃぐわ、めでたいことですな。 ところで、我が支配層は、今後とも軍事と警察にはよほど金を使いたいらしい。ほんでもって公共事業は縮小に継ぐ縮小だと。いつの世もそうだが、金の使い方が馬鹿げてくると集め方も似てくる。エライ時代がやって来ることを覚悟せねばなるまい。 2003.9.19日れんだいこ拝 |
(私論.私見)