38―2 2003自民党総裁劇、首相劇

小泉新内閣考 れんだいこ 2003/09/22
 2003.9.22日小泉新内閣顔ぶれが決まった。驚くべきタカ派系一色の且つ小泉私党的なものとなった。官房長官福田をはじめ竹中、川口、石破、堀内は留任。安倍、麻生、谷垣、石原は横滑り。新任野沢は森派から、中川はムネオシフト。こういう暴力的人事は小泉以外に誰が思いつくだろう。マスコミは、その以外さが意外だと囃(はや)し立てている。

 しかし、考えように拠れば分かりやすくて良いかも。従って、管民主党が如何に闘うのかに興趣が注がれる。アイデアとしては、護憲・論憲派として改憲派と対決するという構図ではどうだろう。従って、党内改憲派は自民党へ行ってもらう。代わりのトレードとして、自民党内干され組のハト派系をスカウトする。その際は、小泉流を見習い、各方面にポスト饅頭配り続ける。確かにこれは効くから。

人間は何せ利益生物ですけんね。ここを無視して良い話を何万回してもすればするほどあきられる。てなこと考えました。

 2003.9.22日 れんだいこ拝


【小泉新内閣新閣僚名簿】
 2003.9.22日小泉改造内閣の新閣僚が発表された。名簿一覧は次の通り。

(派閥名、党名は、[江亀]江藤亀井派、[堀内]堀内派、[橋本]橋本派、[森]森派、[山崎]山崎派、[高村]高村派、[加藤]旧加藤派、[河野]河野グループ、[無]無所属。[公]公明党、[保]保守党と記す)


【官邸】
総裁・首相 小泉純一郎(こいずみ じゅんいちろう) 61 留任 [森] 大蔵政務次官、大蔵委員長、郵政・厚相。慶大経=衆(10) 神奈川11
内閣官房長官

福田康夫(ふくだ やすお)

67 留任 [森] 外務政務次官、党副幹事長・財務委員長。早大政経=衆(4) 群馬4
官房副長官

細田博之・(衆院)(←安倍晋三)

科学技術担当相(衆院)から横滑り。
山崎正昭・(参院)(←上野公成) 前参院議運委員長。

 事務担当の古川貞二郎官房副長官(69)は退任。後任には元自治事務次官の二橋正弘・自治体国際化協会理事長(61)の起用が決まった。二橋氏は64年に旧自治省入省。静岡県副知事などを経て、99年に事務次官に就任し、01年1月まで務めた。同省出身の官房副長官は古川氏の前任の石原信雄氏以来。


【党三役】
幹事長 安倍晋三 [森]
総務会長 堀内光雄 73 [堀内] 労相、党総務局長、通産相、総務会長。慶大卒。山梨2区。当選8回。
政調会長 額賀福志郎 59 [橋本] 防衛庁長官、経済財政担当相、幹事長代理。早大卒。衆院茨城2区。当選6回。 
副総裁 山崎拓

【枢要職大臣】
総務大臣 麻生太郎(あそう) 63 [河]

自民党政調会長から横滑り。経企庁長官、経済財政担当相、党政調会長。学習院大政経=衆(7) 福岡8

法務大臣 野沢太三(だいぞう) 70 新任 [森]

国鉄施設局長、外務・決算委員長、憲法調査会長。東大工=参(3) 比例

外務大臣 川口順子(よりこ) 62 留任 民間 通産省審議官、サントリー常務、環境相。東大教養
財務大臣 谷垣禎一(さだかず) 58 [加]

国家公安委員長から横滑り。科技庁長官、金融再生、国家公安委員長。東大法=衆(7) 京都5

金融・経済財政大臣

竹中平蔵(へいぞう)

52 留任 民間 金融、経済財政の両相を引き続き担当することになった。旧日本開発銀行員、阪大助教授、慶大教授。一橋大経
経済産業大臣

中川昭一

50 新任 [江亀] 農相、党広報本部長・組織本部長。東大法=衆(6) 北海道11
国土交通大臣

石原伸晃(のぶてる)

46 [無] 行革担当相から横滑り。日本テレビ記者、通産政務次官、行革担当相。慶大文=衆(4) 東京8
防衛庁長官

石破茂(しげる)

46 留任 [橋] 農水総括政務次官、党政調副会長。慶大法=衆(5) 鳥取1

【軽量職大臣】
文部科学大臣  河村建夫(たけお) 60 [江亀]

副大臣から昇格。政調副会長、文部総括政務次官、副文科相。慶大商=衆(4) 山口3

厚生労働大臣  坂口力(ちから) 69 留任 [公] 医師、労相、党副代表。三重県立大院=衆(8) 比例東海

農林水産大臣 

亀井善之(よしゆき) 67 留任 [山] 運輸相、党政調会長代理・経理局長。慶大経=衆(7) 神奈川16
環境大臣  小池百合子 51 新任 [森] 総務政務次官、保守党副幹事長。カイロ大文=参(1)衆(3) 兵庫6
国家公安委員会委員長  小野清子 67 新任 [江亀] 環境政務次官、文教委員長、JOC理事。東京教育大体育=参(3) 比例

沖縄・北方 科学技術相 

茂木敏充(もてぎとしみつ) 47 新任 [橋] 党副幹事長、通産政務次官、副外相。米ハーバード大院=衆(3) 栃木5

産業再生・行革・規制改革大臣 

金子一義 60 新任 [堀]

建設政務次官、厚生・大蔵委員長、党副幹事長。慶大経=衆(5) 岐阜4

防災・有事法制担当大臣  井上喜一 71 新任 [保]

農水省構造改善局長、総務政務次官、党政調会長。東大法=衆(5) 兵庫4

 午前11時半からの臨時閣議に続いて、首相官邸に安倍晋三幹事長ら自民党幹部と、連立を組む公明、保守新両党代表らが入り、組閣本部を設置。午後1時すぎ、福田長官が閣僚名簿を発表した。副大臣人事は24日に行う予定だ。

 小泉内閣の改造は昨年9月以来2回目。17閣僚のうち8閣僚が横滑りも含めて残留。再改造内閣は自民党の出身派閥別では、森派2人、橋本派2人、江藤・亀井派2人、堀内派1人、山崎派1人、旧加藤派1人、河野グループ1人、参院2人、派閥に属さない議員1人となった。

 改造は中規模にとどまり、新たな民間人(非議員)の起用はなかった。初入閣は法務相の野沢太三氏ら7人。保守新党の扇千景国土交通相は退任し、同党からは代わりに井上喜一政調会長が防災担当相として入閣した。
塩川正十郎財務相も退任。

 古賀誠元幹事長が小泉純一郎首相からの入閣を要請され、断っていたことが22日分かった。首相は21日夜、古賀氏に直接電話し、入閣を要請したが、古賀氏は自民党総裁選で首相の再選に反対したことなどを理由に入閣を固辞したという。古賀氏は22日午前、毎日新聞の取材に「私は野中広務元幹事長のように政界引退を表明する勇気はないが、入閣するつもりはない。それが美学だ」と語った。[毎日新聞9月22日]

 再改造内閣発足を受け、小泉首相は26日、臨時国会を召集。「10月衆院解散、11月総選挙」に向け、与野党は本格的に動き出す。


2003政局二ラウンド目のゴングが鳴った。 れんだいこ 2003/09/21
 自民党総裁選は現職小泉の圧勝に終わった。肝心のことをコメントしておこうと思う。日本の政党の中で、この党だけが本来の意味での機関運営主義に基づく政争を公明正大にしているということが素晴らしい。これに続くのが民主党であり、鳩山と管が争い党首変更が為された。自由党の場合には小沢以外にいないということでそもそも選挙にならないが、誰かが立候補すれば堂々と争うだろう。そして、民主党と自由党が自民党出自であることを思えば、何のことは無い自民党だけが最高指導者の地位を選挙で争い得ていることになる。これが大人の政治システムというものだろう。

 その自民党も次第にタカ派系が趨勢となり、こたびは古典的な仕訳ではオールタカ派系4名が党首の座を争った。が、この機関運営主義こそは大きな財産であろう。昔は札束が飛び交い、ニッカ、サントリー、オールド・パー現象も生まれ華々しかった。その基底には、官僚派対党人派、ハト派対タカ派の対立があった。これを良く言えば政策をカネで買い取ろうとしていたと云える。

 しかし、こたびの党首選には官僚派対党人派、ハト派対タカ派の対立が微塵も見られなかった。表見的にせよ聖人君主像を求める長らくのマスコミの調教によってか伝統的酒類が飛び交わず、代わりにポスト饅頭のグループ釣りが目立った。一度でも権力に群がり蜜の味を覚えると恋しや主流派で、義理も人情もご免ちゃいが罷り通った。というか、本当に対抗馬足り得る候補がいなくなってしまったようだ。

 話を戻す。政権党の万年批判でお茶を濁しつつ次第にジリ貧化し雲散霧消寸前の旧社共勢力は、何故にこういう党首選が出来ないのだろう。何ゆえに満場一致を悦ぶのだろう。何故に言葉だけの民主集中制が強制され、公然たる執行部批判が抑制されるのだろう。何ゆえにこういうイエスマン方式が賛美されるのだろう。国政選挙の仕組み以下の悪質な選挙方式で代議員を選びながら、何ゆえに国政選挙制度の欠陥を云々し得るのだろう。こういう勢力が人民大衆から見放されるのは理の当然であろう。一言でいえば、子供の政治の段階ということだろう。

 願うらくは、ほんにおもろい喧喧諤諤式の左派系政党が出て来て欲しいということ。この道にしか日本再生が無いのなら創造せねばなるまい。その前に、小泉自民党対管民主党の関が原決戦を見ておこうか。

 またぞろ日共が社民党があれこれ理屈を付けては政局変動に水を差そうとも、可能性が有るのならひとたびは民主党に舟を漕がして見たい。政界変動の肝心なときになると冷や水を浴びせ、ほとぼり冷めたら「よりまし政治」を吹聴する日本サヨ運動の気色悪さを一瞥し、細川政権時代の経験を踏まえた二度目のウェーブを見てみたい。

 いくら大した事無くても、揺すらねば何も生まれない。揺すりの中から何が生まれるのか、何を引き出し育てるのか、これが政治が生きているというものでは無いだろうか。そういう意味で、2003政局二ラウンド目のウオッチに入りたい。


【2003.9.20日自民総裁選、小泉首相が大差で再選】
 自民党総裁選は20日午後、東京・永田町の党本部で所属国会議員の投票が行われ、同日開票された地方票と併せ、小泉純一郎現総裁(首相)が大勝、再選された。新総裁の任期は06年9月までの3年。

 開票結果は次の通り。

順位 候補者 議員票(計357票) 地方票(計300) 合計 (得票率%) 総得票(657票)
小泉首相 194票 205票 399票 (60.7) 過半数(329票)を上回る約6割にあたる399票を獲得し、第1回投票で再選を決めた。
亀井静香 66票 73票 139票 (21.2)
藤井孝男 50票 15票 65票 ( 9.9)
高村正彦 47票 7票 54票 ( 8.2)

 引き続き開かれた同党の衆参両院議員総会で、小泉総裁の再任が正式決定された。小泉氏は、再選にあたってのあいさつで、「政権政党の総裁としての重責を痛感しつつ、国民、議員、党員の期待に応え、精いっぱい努力する」、「緊迫した気持ちで臨時国会に臨む」と述べた。小泉首相は直ちに内閣改造・党役員人事に着手。21日までに党の新三役を決定し、与党3党首会談などを経て、22日に改造内閣を発足させる考えだ。



「現代日本百年考」 れんだいこ 2003/09/19
 面白い「現代日本百年考」に出くわしたのでこれを書き付けてみる。「別冊歴史読本」の「昭和秘史歴代総理と財界巨頭」(1987.11.15日発行)の冒頭文、今井久夫氏の「政・財界癒着と対立の百年」には次のように書かれている。

 「政界と財界の関係を何にたとえようか。親子とも云えるだろう。兄弟といってもいいかも知れない。あるいは主従のつながりがないといえば嘘になる。しかし、もっとも自然で、もっとも普遍的な関係は夫婦のそれに尽きる。政界と財界は明治の初めに結婚式を挙げた仲のいい夫婦だ。一緒になって1世紀を超える。金婚式どころではない。

 仲がいいといっても、夫婦にケンカはつきものだ。時には犬も食わない夫婦ゲンカを繰り広げたこともある。しかし、ケンカしていても夫婦は夫婦だ。共通の利害には敏感に反応する。得をすると思えば、夫婦ともども戦線を張ってあくまでもそれを追求してやまない。反対に損する問題は互いによけて通る。もしトラブルに巻き込まれれば、互いに責任をなすり合い、ののしり合うことも辞さない。

 しかし、ののしり合いも、これ以上進めば夫婦の基本的部分にヒビが入ると悟ればピタリと中止する。あとは一致協力して外圧に当たり、外敵を排除する。政界と財界のこの百年余りを振り返ってみると、そんな夫婦を連想しないわけにはいかない。

 新婚間もない頃、世界の荒波に放り出されて、ただ生きるために一所懸命に働いた。甘い新婚気分などみじんも無い。真剣勝負の毎日だった。その甲斐あって貧乏世帯もどうやら格好がつくようになる。しかし出る杭は打たれる。隣の清国(今の中国)や露国(今のソ連)と一悶着起こす。しかし夫婦力を合わせて、この商売敵を打倒する。かくて日本はアジアの雄となり、世界の強国の仲間に入る。

 第一次世界大戦では漁夫の利を占め、夫婦の財産はまた一段とふくらんだ。しかし、この後反動として不景気がくる。間口を狭くして、それなりに対応すれば、何とかやりくりができたかも知れない。しかし、ひとたび拡げた世帯を縮めるのは困難だ。逆に外に向って膨張政策をとる。満州に進出し、中国に侵入する。そして、とうとうアメリカを向こうにまわして第二次世界大戦をおっぱじめてしまった。夫婦は死に物狂いで頑張った。しかし多勢に無勢、最後には刀折れ矢尽きて両手を挙げた。国土は焼け野原と化し、財産はすべて灰塵と消えた。裸一貫からのやり直しだ。

 全てを失った夫婦は呆然として立ち尽くすばかりだった。しかし気を取り直して、空き腹をかかえながら働きはじめた。ただ汗水たらして働きに働いた。それから42年の時が流れた。気が付いてみると、腹は一杯だ。いい家に住んで居る。財布は札束ではち切れそうだ。夫婦は互いに顔を見ながら『オヤ』というような表情を浮かべている。そこになにがしかの満足と、なにがしかの当惑の表情がある。日本の政界と財界の夫婦物語を駆け足で語れば、ざっと以上のような関係になる」。

 以上、「のん気な父さん」ぶりの纏め方ではある。全体として戦後ハト派の観点から捉えているようであるがなかなかの名文でもある。これが書かれたのは1987年であるから、ポスト中曽根から竹下首相誕生の頃のことになる。末尾に「なにがしかの満足と、なにがしかの当惑の表情」とあるが、これが15年ほど前の率直な感慨であろう。その頃から15年今や、「思い起こせば返す返すも残念無念の表情」に変わっているならこの国は大丈夫だ。

 相変わらず「のん気な父さん」ぶりで、やれイラクだ、北朝鮮だ、ブッシュはんの仰せなら地の底空の果てまでお供しまっせ、打ち出の小槌さん頼んまっせエイエイオーなる首相を抱えて、新たに3年お付き合いせねばならんとすればもうオワだ。取り返しのつかない空白3年の上に又3年だ、一体どういうことになるのかこの国は。

 しかし、我が支配者層はこのオワの道がよほどお気に入りらしい。ポストと利権飴を咥(くわ)えさせられたら途端にお利巧、途端にはしゃぐはしゃぐわ、めでたいことですな。

 ところで、我が支配層は、今後とも軍事と警察にはよほど金を使いたいらしい。ほんでもって公共事業は縮小に継ぐ縮小だと。いつの世もそうだが、金の使い方が馬鹿げてくると集め方も似てくる。エライ時代がやって来ることを覚悟せねばなるまい。


「民主主義の原価」について れんだいこ 2003/09/17
 宮崎兄ぃが「民主主義の原価」(講談社)を新作している。半分ほど読んだが結構面白い。ロッキード事件の考察も為されており、要所のところを取り込んだ。

 我々はそろそろもっと正確に、戦後なるものを相対総括せねばならない。そういう思いが禁じえない。戦後日本の社会秩序を優れものとして以下述べるが、戦後サヨ勢力どもがキレイ事言辞の中で如何に戦後ルネサンスの息吹を圧殺して行ったか、何も権力側ばかりが骨抜きにしたのではない。みんなでよってたかって「よしんば善意」を敷き詰めつつ生贄の聖祭に辿り着いていったのか、そういうことを考えてみる必要があると思う。

 自民党総裁選なぞ早く終われ。馬鹿馬鹿しいことこの上ない。曰く、消費税値上げ。曰く、憲法改正。曰く、イラクへの軍事派遣。曰く、大盤振る舞い。曰く、緊縮の中でも利権的救済。曰く、北朝鮮経済制裁。曰く、ブッシュ名君第一にじり寄り云々。それらを正面からやるのか、様子見でやるのかの違いでしかない。云っていることがオールタカ派系の発想だ。

 それを思えば、かっての政争が如何に政策を争い、利権を争い、ポストを争ってきたのか、その凄みが分かる。左翼は少しもこれを理解しないが。恐らく、階級闘争つうものを漫画式に資本家対労働者という枠組みで考えているせいだろう。資本家陣営内のゴタゴタなぞ何の関係があるらん、と余所見しているのだろう。

 れんだいこはそうは考えない。むしろ、自民党抗争史をどの党派のそれよりも高く評価してウオッチしている。この観点からすれば、70年代までのが政治というもので、80年代以降の流れは旦那連中の余興にしか過ぎない様が見えてくる。身体に例えれば、恐らく背骨が奇形にされている上でのコップの中の争いだろう。それは実にくだらない。

 実は結構な時代で、舵取り万全。れんだいこが気難しそうに心配しているだけならそれはそれで良いのだけれど。良い話も悪い話も運命も一夜にしてやってくるからねぇ、こういう時代には良いカンテラ持っておかんとあかん、とか思う。


このネオコン論理のケッタイサよ。 れんだいこ 2003/09/13
 タカ派系マスコミの寵児石原都知事のさる9月10日の名古屋での街頭演説での発言が騒動を起こしている。これで亀井の芽が完全に潰れた。とんだ助っ人がいたもんだ。この事件の本質はここにある。これを受け、小泉は早くも挙党体制云々をし始めた。

 石原都知事を応援に担ぐ亀井の不明を知るべきか、元々呉越同舟ならぬ出来レース同舟を笑うべきか。それにしても石原という御仁は、助っ人で出向いて自分のパフォーマンスしかできない人物であることを晒した。これがタカ派系マスコミの寵児の素体であるとしたら、分別できない小児病者の立ち居振る舞いがもてはやされる時代であることが分かる。

 こたびの石原発言のお粗末さは、ホワイトハウスの歓心を買う流れでの日本式ネオコン聖戦論に本質がある。一国の首相が共同声明に署名した。その後ホワイトハウス筋からお叱りを受けたにせよ、首相の行為の重みはどうなると指弾したのではない。共同声明の草稿を準備した外務省・田中均外務審議官を批判し、自宅に爆弾が仕掛けられても「当たり前のことだと思う」と逆切りしている。

 つまり、この日本式ネオコンの批判の矛先が問題だ。一方で、治安維持、警備強化、自衛隊増強に人百倍精出しながら、他方で、爆弾仕掛け是認論をぶつ。この御仁の首尾一貫性は、タカ派は何をやっても許される、しかしてその反対派は懲罰されても当然というところにある。

 こういう連中が揃うとえらい世の中にしてくれそうだ。北朝鮮体制を批判しているようで、その実は憧れているのではないかなとか思う。その帝王学はどうやら国民家畜論を下敷きにしているようだ。それで自分たちは重たいほどの勲章を肩から胸に掛け、閲兵式場を闊歩する、取り巻きからパチパチ拍手して貰うのを無上の喜びとする。恐らく漫画の世界との識別が出来ていないのだろう。

 ホワイトハウスはこういう御仁が扱いやすいのだろう。云うがままに任せ「オツムてんてん」している。まもなく上が上なら下も下だわの世の中がやってきそうだ。


「派閥万能、談合政治批判の批判」 れんだいこ 2003/09/12
2003.9.11日付け毎日新聞社説は、野中氏の引退声明に対して論評しており、れんだいこがこれを再論評する。

 野中広務衆院議員が、政界引退表明の際に、「最後の情熱と志を小泉政権を否定する戦いに燃焼する」と述べ、総裁選で小泉純一郎首相支持の青木幹雄参院自民党幹事長らを名指しで批判したことに対して、野中氏の政治家履歴を云々した後、「野中氏の引退表明は、総裁選をめぐる橋本派や堀内派に見られる派閥崩壊の具体的な表れで、派閥万能、談合政治の限界を示す。選挙区で有権者の意識をつかんでいる多くの自民党議員が、派閥政治ではもうやっていけないことを感じ取っていることが、底流にあることを見逃すべきでない。派閥談合政治に代わる新たな組織原理と手法を見いだせるかに自民党の将来がかかっている。総裁選の課題は大きく、深い」と結んでいる。

 果たして、この謂いに正当性があるのだろうか。野中の政治家履歴については、これまで権力闘争を重視しとかく支離滅裂していることは事実である。従って、これに言及しない。問題は、末尾の「派閥万能、談合政治の限界を示す」ものとして受け止め、「派閥談合政治に代わる新たな組織原理と手法を見いだせるかに自民党の将来がかかっている」としている観点についでてある。

 この論説委員は恐らく、金の掛からない選挙、派閥の無い政治、政治家が一言居士的に独立して識見を振るう政治を憧憬しているのだろう。例えて云えば、霞みを食って生きる仙人導師的な哲人政治家を想定し、その寄り合い政治を期待しているのだろう。しかし、こういう願望は机上学過ぎるのではなかろうか。

 むしろ、相互に識見が異なれば近似値的に近いところが群れをなし、そうした派閥集団間で合従連衡しつつ事を処理していくことこそが政治の本質なのでは無かろうか。当然、銭が掛かるのなら誰かがあるいは指導的な立場の者達が調達にも廻らねばならない。そこに腐敗の温床があるとしても、これから抜け出すような知恵の創出は永遠になされっこないと割り切るべきではなかろうか。

 ここに介在するのは法律であり、その法治主義の枠内では極力自由、自主、自律的な稼業が許されるとすべきでは無かろうか。但し、情報公開は極力進めよということになる。

 何が云いたいかというと、派閥の無い、議員活動に自前の金の掛からない政党が居たとして、その政党内は党中央にがんじがらめで生殺与奪権が握られているのとワンセットでは無いのか。いわゆる民主集中制なぞという言葉だけ美名のその実党中央に拝跪することしかできない、国会議員が党本部に顎で使われているような政党のどこが良いのか。

 こういう風に思考をめぐらして後に、派閥解消論、「新たな組織原理と手法を見いだせ」と云って欲しいものだ。

 角栄の金権政治家ぶりを嫌おうが、近いところでムネオのそれを嫌おうが、普通選挙システムによる代議員制度というシステムそのものが生み出しているのではないのか。ならば、普通選挙法を取り上げれば良いのかというと、戦前の元老院政治、貴族院政治、あるいは業界代表政治ぐらいしか考えられない。それに比べてどうなのかということになろう。世の中、ええとこ取りは無いとしたもんだ。それを無理やり願うようなええこと云うだけの評論なんて要らない、とまっこういうことが云いたい訳。

 ちなみに、間もなくお望み通りの派閥解消時代がやってきそうだ。戦後自民党政治の特質であったハト派糸とタカ派系の拮抗政治が、ここにきてハト派系の壊走となり、タカ派系オンパレードの時代になりそうだから。

 問題は、お望み通りにはなったが、戦前は天皇制に戦後はワシントン制一色に塗りかたまり、ご丁寧なことに野党とマスコミがこれを追従しいわゆる大政翼賛会政治の再来で、果たしてこれで良かったのかと気づいたときには、もうこの国はジ・エンドになっていた、高級官僚は皆お気に入りの外国にトンズラしていた、ということなのではないのか。

 その原因は、元に戻ってキレイゴトの言い過ぎが積もり重なって、しまいには小児病者に権力持たせたことにあるのではないのか。いくら流行りだからといっても、真似して良いことと悪いことがあるっちゅうのに。

 2003.9.12日 れんだいこ拝


Re我が国の政界変動を予見する。れんだいこ、2003/09/10
 自民党総裁選が始まり、四候補のチンドン道中が始まっている。洟を添えているのは亀井だろう。云いたい事云えるのはよほど裏で通じている仲なのだろう。一連の学芸会的顔見世行脚を経てすんなり小泉再選というのがシナリオだろう。ブッシュも露骨に介入し始めた。

 一体、我が国の首相選最中に米国大統領がこれほど肩入れした例があるのだろうか、れんだいこは最近の事例としては知らない。戦後占領期のGHQ時代にはそれなりに干渉があった。しかし嗜みもあった。50年以降特にサ条約で独立した後においてかような例は知らない。米国は常に注意深く見守り、刻々とワシントンへ打電を為し、陰ながら必要な手を打ってきた。

 そのシナリオが崩れたのは唯一、ブントらによる60年安保騒動と、70年代の日中国交回復運動であった。歴代首相の中で、戦後ハト派系の動きがその中でも特に角栄の動きと能力分析が克明に為されていた事が、今日公文書公開で明らかとなっている。

 ブッシュの「10月17日に訪日、小泉首相と会談」、小泉の「内々に聞いている。その意向なら歓迎して話し合いの機会を持ちたい」なる掛け合いは、長年の慣行を踏みにじっている。このヤラセというかなんちゅうか奇態を指摘するマスコミが出てくるだろうか。

 これを思えば、ブッシュー小泉連合とはホンに似たもの同士で「やってはならないことを平気で踏みにじる私物化仲間」ということになる。つまり、聞き分けのできないやんちゃ子供のような政治家仲間ということになるが、そういう人物が一国のトップに座っているこの時代は、それだけ皆の衆も含めて見識の背丈が低くなっているのだろう。

 そのブッシュがテロリストを捜し求めて地球の津々浦々にまで徘徊する様は、己の影を追い求めているようなもので、それは狂気でもありサルの何とかズリ同様死ぬまで止めないだろう。そのブッシュに小泉がお似合いだ。こちらもかなりの暴君型で、強いものにはへいこらし、弱いもの見つけたらいたぶり続ける典型的なサド気質の持ち主とお見受けする。さすれば、これを補完するのはマゾっ気であろう、オラはご免だけど。

 これに野中が遂にキレタ。抗っても無駄であろうが、この抵抗は後世評価されるだろう。最後のハト派ラインの気がする。角栄ー大平連合の真っ当さに比較すればかなりねじれて矮小な気がするが、僅かながらでもイデオロギーを共有している気がする。しかし、その他があかん。飴玉をくわえさせられたら直ぐにご機嫌になる手合いばかりだ。つまり、獅子身中の利権虫ばかりだということを証左している。橋龍よお前のことを云っているんだぞ。

 それはそうと、9.3日に「国会議事堂に落雷、外壁の御影石はがれる」事態が起こっている。「3日夕、東京都心を襲った激しい雷雨で、永田町の国会議事堂に落雷があり、議事堂の外壁の一部がはがれ落ちた。衆院事務局によると、雷は午後6時半ごろ、議事堂のシンボルである中央塔(高さ約65メートル)の避雷針周辺に落ちた。この直後、中央塔の外壁とみられる御影石の一部がはがれ、衆院側の中庭周辺に落下した」とある。

 「国会に雷が落ちたのも、外壁がはがれ落ちたのも初めての経験」ということだが、これが何を意味するのか。我が国では古来よりこの種の吉凶が占われてきた。自然現象に何の意味があろうというのは現代科学の凡庸なところで、あるいは昔の人のほうが政治センスが良かったのかも知れない。

 その流れを汲むれんだいこはこの奇現象を訝っている。何かの予兆であることは疑いない。どこぞの火山の噴火では無く、よりによって国会議事堂直撃ですぞ。何も起こらないという訳が無い。れんだいこは、「恐らく不思議なる政変の始まり」と解する。


 政界引退:野中元幹事長 反小泉路線「燃焼し尽くす」 [毎日新聞9月10日]

 自民党の野中広務元幹事長は9日、同党本部で記者会見し「今期をもって政界を引退する」と次期衆院選に立候補しない考えを表明した。野中氏は、小泉純一郎首相を支持した同派幹部の青木幹雄参院幹事長や村岡兼造元官房長官を強く批判。「自ら退路を断ち、最後の情熱と志を、今回の小泉政権を否定する最大の戦いに燃焼し尽くしたい」と語った。総裁選は現在首相に有利な状況で、野中氏は捨て身の行動で反撃に出たものだ。また橋本派は「親小泉」派と「反小泉」派の対立で、分裂は決定的な状況となった。

 野中氏は今回の総裁選で「反小泉」路線の派閥連合を模索したが、統一候補の擁立に失敗。橋本派の代表候補として藤井孝男元運輸相の擁立を目指したものの、青木氏はこれに反対。藤井氏は出馬したが、派の対応は自主投票になった。8日には青木氏に続いて村岡氏も首相支持を表明した。

 会見では、同派の会長代理を務める村岡氏について「目先のポストに惑わされているのではないか」と述べ、総裁選後の党人事・内閣改造でのポスト狙いとの見方を示した。青木氏についても、竹中平蔵金融・経済財政担当相や山崎拓幹事長らの交代が担保されないまま、「選挙の顔」になるという理由だけで首相を支持したと指摘。「むなしい思いがした」と、両氏の対応が引退決意につながったことを強調した。

 総裁選で小泉首相の優勢が伝えられる中、再選阻止に政治生命をかける姿勢を示すことで、党内の藤井氏支持票を掘り起こす狙いがあるとみられる。しかし、突然の引退表明が「敗北宣言」と受け取られる可能性もあり、自民党内では状況を変える動きとは今のところ受け止められていない。

 野中氏は衆院京都4区選出で77歳。当選7回で自治相、官房長官、幹事長などを歴任した。【平田崇浩】

 野中氏の引退、「本人の判断尊重すべき」と首相
 小泉首相は9日、自民党の野中広務元幹事長が今期限りの引退を表明したことについて「政治家は自らの出処進退を自分で判断する。本人の判断を尊重すべきだ。小泉を倒すという信念に燃えておられるなら、引退しないで、もっと頑張ってやる方法もあると思うんですけどね」と述べた。自民党本部で記者団に語った。

 首相は、野中氏が郵政民営化などに反対してきたことについて「それは政策論。党内に意見の違う方も(いるのは)よくあることですからね」と述べた。党総裁選で首相支持を決めた青木幹雄参院幹事長を、野中氏が批判したことには「議員がそれぞれ判断する問題。支持する候補が違うからといって批判するのはあまりいいと思わない」と不快感を示した。引退表明が総裁選に与える影響については「どうみなさん反応するか。しばらくたたないとわからない」と述べるにとどめた。 (朝日、09/09 20:35)



候補者プロフィール(時事通信社情報参照
小泉 純一郎(こいずみ じゅんいちろう)
小泉 純一郎 生年月日:1942年1月8日(61歳)
出身地:神奈川県
最終学歴:1967年 慶応義塾大学経済学部卒業
自民党議員データ
衆院神奈川11区選出
衆院当選10回
藤井 孝男(ふじい たかお)
藤井 孝男 生年月日:1943年3月14日(60歳)
出身地:岐阜県
最終学歴:1965年 成城大学経済学部卒業
1965年 アラビア石油入社
橋本派
自民党議員データ
衆院比例代表東海ブロック選出
衆院当選3回(参院当選3回)
亀井 静香(かめい しずか)
亀井 静香 生年月日:1936年11月1日(66歳)
出身地:広島県
経歴:1960年東京大学経済学部卒業、1962年 警察庁入庁、1979年退庁、1985年衆議院議員初当選(初挑戦)
江藤・亀井派
自民党議員データ
衆院広島6区選出、衆院当選8回
<メッセージ>
真面目、ひたむきに努力するものがまずむくわれ、希望の持てる社会の実現のため最善をつくす。なお、政治新時代を決断と実行でまた、政治改革は権力抗争からではなく、政策で勝負する本当の改革、政治の実現に先頭に立って頑張る。
高村 正彦(こうむら まさひこ)
高村 正彦 生年月日:1942年3月15日(61歳)
出身地:山口県
最終学歴:1965年 中央大学法学部卒業
1968年4月 弁護士
高村派
自民党議員データ
衆院山口1区選出
衆院当選7回


 自民党総裁選:堀内派は自主投票に 丹羽氏の擁立見送り [毎日新聞9月5日]

 自民党堀内派は5日昼の緊急総会で、党総裁選への対応について、反小泉路線をとる古賀誠前幹事長らが主張していた丹羽雄哉元厚相の擁立を見送り、自主投票とすることを全会一致で決めた。今後は、同派に所属する衆参両院51人の議員票の行方が焦点となる。

 緊急総会では冒頭、柳沢伯夫事務総長代行が「各議員は8日に発表する予定の堀内派の政策を中心に、各般の情勢を勘案し立候補者の選択を行う」との最終方針を読み上げ、「自主的に判断するということだ」と説明した。

 古賀氏らはなお、小泉純一郎首相には投票しない方向で派内をまとめたい意向だが、同派会長の堀内光雄総務会長はすでに首相再選支持を表明、若手議員の間にも「次期衆院選の顔」として小泉首相の続投を期待する声が強いため、同派は橋本派と同様、「分裂選挙」となる見通しだ。



 自民総裁選:首相と青木氏の連携批判 菅・小沢両氏 [毎日新聞9月5日]

 民主党の菅直人代表と自由党の小沢一郎党首は5日、松山市内のホテルで共同記者会見し、自民党総裁選で再選を目指す小泉純一郎首相が青木幹雄・参院幹事長と連携している構図を批判した。

 菅氏は郵政民営化をめぐる首相と青木氏の政策の違いについて「自分の政策に反対する人には『支持してもらわなくて結構』というのが筋だ」と首相を批判。「(民営化に)反対する人と推進する首相が、どうやってマニフェスト(政権公約)をつくるのか。マニフェストが本物か、インチキかの踏み絵になる」と指摘した。

 小沢氏も「『(民営化に)反対だけど(首相を)支持する』というのは理解できない」と述べたうえで、総裁選の現状について「国民にとってどういう政策が必要かというレベルとは全く違う次元の単なるポストや権力をめぐる争いだ」と批判。橋本派が分裂選挙となったことに「自民党が崩壊プロセスに入っていることを示している」と述べた。【尾中香尚里】



Re:こたびの党首選とは憲法改正同盟による演出か、あぁ。 れんだいこ 2003/09/04
 貧相末期の我が政局にお似合いなように、自民党総裁選が遊泳している。花火で云えば湿りっぱなしというところか。これを考察するのは愚昧でさえあるがコメントしておく。

 基本的な観点として、アメ帝ブッシュの懐深くブレアより強く尻尾を振り続け覚え愛でたさを得ている小泉の優位が動かない。しかし、この優位は世界一強国のアメ帝(仮にこうしておく)よりのお墨付きにのみあり、実際に投票させてみたら総スカン食うことはあり得る。自民党国会議員の、地方支部のその多くは小泉離れをしているように思えるから。

 新聞の世論調査がどのようにして作成されるのか分からないが、れんだいこの見るところ小泉人気なぞ遠の昔に終わっている。むしろ吐き気を催す者の方が増えているのではないのか。

 小泉の経済政策に抗し、大盤振る舞い政策を吹聴する亀井の愛敬がどこまで通用するか。れんだいこは、目下の小泉的経済無策政策に反対であるが、亀井のそれも胡散臭いと観ずる。もはや、緊縮政策か大盤振る舞い政策かの二者択一論はナンセンスと思うから。

 むしろ、公共事業を盛んにし、中小零細のうちどの芽を育てるのか、起業を如何に後押しするのか、具体的に融資から税法までの根本的組み直しで活性化、官費の抑制と合理化、防衛費突出の断念むしろ縮小、消費の喚起等々具体的な提案にまで行かない限り、今後の経済政策は意味をなさないと考える。それが為されていない。

 ところで、特徴的なこととして小泉も亀井も恐らく高村も(藤井のそれについては今のところ不明)憲法改正を全面に押し立てている。つまり、タカ派系であること、ワシントンの意向に忠実なことが窺える。

 ワシントンの意向とは何か。憲法を改正させ、優秀な日本軍の頭脳と肉体を戦地に投入させ、格好の下請けにさせようという狙いのことを云う。恐らく日本のトルコ化を狙っていいるのだろう。ワシントンにとって、日本への武器の高価払い下げと自衛隊の戦地投入が長年の夢であり、この意向に応えてくれる首相の登場と支援を惜しまない。

 してみれば、小泉が首相に成るに当っての、「自民党をぶっ潰すことも辞さない」宣言とは、その内実は、内部拮抗政党としての自民党の練り合いを軽く見て、愚直一路でワシントンの意向に従うという外向けメッセージであったのかも知れない。事実、この公約通りに歩んできている。

 我々はこれを構造改革徹底論の意味に結び付けて理解したが、その後の歩みはその虚構を剥いでしまった。小泉にとって構造改革論とはいつでも出したり引っ込めたりできる国民受け狙いのスローガンに如かず、しかもその内実たるや具体策は何も無く、単に中曽根式民営化を標榜するだけのものに過ぎない。

 しかも、民営化の中味は、国防上必須の中央集権的統合を要する機構の解体民営化であり、一体普段云っている国防論とやっていることの中味が違う。交通手段、電信、郵便の民営化に何の意味があるのだ。れんだいこには、自衛隊や教育機関の民営化を云うに等しい戯言に聞こえる。

 まっこの辺に正体があるのかも知れない。誰が首相になってもこの構図から免れることが出来ない。我が国の戦後政治は、ロッキード事件を通じて自立的な歩みに鉄槌をくらわされて以来、脳震盪とその後遺症を引き起こし、その勘繰りでビクビクし続けている、というのがれんだいこの認識である。イデオロギー政党の不在化がこれを促進しているとも考えている。この観点に異論ありやなしや。


【国会議事堂に落雷】

 3日夕、東京都心を襲った激しい雷雨で、千代田区永田町の国会議事堂に落雷が直撃し、議事堂の外壁の一部がはがれ落ちた。細かな建物の破片が衆議院の中庭などに落ち、尖塔(せんとう)がある議事堂中央の屋根の一部が破損したとみられる。衆院事務局によると、雷は午後6時半ごろ、議事堂のシンボルである中央塔(高さ約65メートル)の避雷針周辺に落ちた。

 現在の国会議事堂は1936年11月に完成。外壁にはすべて国産の御影石が使われている。落石を回収した職員は「長年国会に勤めているが、国会に雷が落ちたのも、外壁がはがれ落ちたのも初めての経験だ」と驚いていた。(読売新聞他記事参考)



あぁ政局のチマチマさよ。 れんだいこ 2003/08/30
 歴史は人によって創られる。階級史観に実在性があろうと無かろうと、古今東西この観点は褪せる事は無い。そういう意味で、今我が国の首相が誰であり、この日本丸をひいては地球丸をどこへ護送船団しようとしているのか、関心を持たないのが良いわけは無い。

 今我が国の50歳以上の中高年世代には、政治に関わる事の消耗性が共有されており、それ以下の世代では政治に無関心を装う姿勢が共有されているように見える。果たして、これが自然にそうなったのか、そのように誘導されたのかを問うことも興味深いが、とりあえずそのように了解しておくことにする。

 さて、そこで目下の政治局面を俯瞰して見たい。戦後日本は世界が脅威するほど経済的発展でその存在振りを示してきた。しかし、さすがに制度疲労と云うべきか、綻びが見え始めている。戦後システムが辿り着いたバブルがはじけ、以来十余年に及ぶというのにその事後策が生み出されない。こうなると、これは人災では無いかと疑惑するのはれんだいこだけだろうか。

 その人災を象徴するかのように我が国の首相として小泉が座り、再選期を迎えてその地位が微動だにしていない。冒頭で、歴史は人によって創られると述べたが、まさに貧困時代には貧相な首相とそれを受け入れる国民の貧相さが釣り合っている。

 小泉をなぜそのように云うのか、れんだいこ観点を添えておく。この御仁は、歴代首相の中で初めて首相が一定期間の政治職であることを見抜いた点で面白いキャラクターを発揮しているところに特質がある。そうだ、なるほど、首相というのは今や、官僚機構の上に乗った帽子に過ぎない。この土台上で如何に役者的に職務をこなすか、それが勤めであって、それ以上の責務苦悩を負う必要が無い。こう割り切ったところに、小泉のらしさがあると云えるように思われる。

 しかしだ。そのようにオマンマ稼業を行う小泉及びその一派はそれで良いとしても、オラ達国民はどうなる。経済低迷、国債の更なる乱発によるツケ過重、軍事防衛方面への突出した予算割当て、戦後初めての自衛隊の戦闘派兵、アメ帝への属国化がますます進行しつつある。外交が死に、政治が死につつある。いや、既に死んでいるかも。あるのは強い者に巻かれろ式の処世法だけだ。しかし、その道でさえ楽ではないように思える。

 こうした時に、引き続き小泉を御輿に乗せて甘い汁を吸おうとする一群の政治家群像が見えてくる。国民の疲弊と国家的溶解現象なぞ何処吹く風の「我さえ良ければ」式の政治が見えてくる。まことにけったいなことだが、これを叱る野党がマスコミが存在しない。せめてインターネット空間だけでも良識を伝え合いたい、と思う。

 なしてかような国に陥ったのか、外資の攻勢で軒並み資本導入されつつある今(その良い面もあるだろうが)、国の根本からの建て直しを視野に入れた議論をしても良いのではなかろうか。どこからレールを敷き違えたのか、どこが盲点となっているのか、小泉再選騒動までの間こういう事も考えてみたい。

 それはそうとムネオが保釈された。当たり前のことだ。ムネオ程度のことでやられたら、それ以上のワルはどうなるのだ。そこへ目が行かず、党人派系と云うかハト派系というか良くも悪しくも戦後民主主義の実践系が酷い目に合わされ続けている。それはあまりにも馬鹿なことで、そう思わないのなら遂にはオイコラ警察時代を呼び込むことになるだろう。

 ムネオは有頂天になって真紀子イジメしていたから、別に好きでも無いのだけれども。一言云って置きたくなった。余計ワルになるのか何らかの悟りを得たのか見守りたいと思う。しかし、小泉一派に対する憤りはかなりあるだろうな。

 それにしても日共は云うに及ばずだが社民党の動きも変調だ。骨のずいから腐っている気がしないでもない。その点、小沢はエライ。向こう十年論憲派宣言して経済再生のシナリオづくりに向えばなお良い。難しいことは全て憲法に照らして舵取り宣言すれば云うことない。日本の憲法は素晴らしい、これは天のお与えだ。この感覚が欲しい。


小泉内閣の政策について、どこに評価に値するものがあるのか。 れんだいこ 2003/08/25
 小泉内閣を評するのに、「その構造改革論は良し、惜しむらくはこれが貫徹しない。抵抗勢力が悪いやっちゃ、小泉頑張れ論」が今なお聞こえてくる。この認識をベースに、どれもこれも中途半端過ぎるではないかとして批判する派と、これからが本当の改革だとして引き続きエールを送る派の二派が認められる。

 れんだいこは、小泉内閣の通史を見て、「その構造改革論は良し」とする観点が端から胡散臭いと確信している。だから上述の論者とは話がかみ合わなくなる。そこで、小泉式構造改革論とはどのようなものであるのかれんだいこ流にスケッチしてみたい。

 もし、言葉遣いに幻惑される人士がいたなら、例えば「革新」とか「改革」などという言葉に弱いのだろう。よく似た使われ方に、「襟を正して」とか「捲土重来」とかがある。これらの言葉を聞かせられるやそれまでの責任追求を止め、様子見に入る御仁がいたとしたら、それは政治の世界ではズブのシロウトを意味する。日常界隈のことなら互いに目が行き届くので一旦信ずることはそれはそれで構わないが、政治の世界でこのような言辞に幻惑される者は無能ということになろう。

 しかし、こういう手合いが評論家としてマスコミに登場し、滅多やたらに幅を利かせ始めている気がしてならない。人様に論を聞かせるほどの者では無い御仁が、本質的に長い物には巻かれろ式のコメンテートを手を替え品を替え出し入れしている。それを控えめに語るか悪乗りしているかの違いで、馬鹿馬鹿しいことこの上ない。

 では、鳴り物入りで始まった小泉の構造改革とは本当はどのようなものであるのか。まず、省庁改革をどう押し進めたのか検討する。その格好例は、真紀子外相と外務省との軋轢であろう。このバトルは、当初は陰湿なイジメから次第に罵倒し合うという抜き差しなら無い対立へと発展していった。確か、NGO代表の参加の問題で、両者のどちらかが嘘をついていることが問い詰められるようになり、外務官僚の嘘が明確になった時、この決定的場面で小泉がどう対応したのか。

 福田官房長官―外務官僚ラインと結託し、逆裁定で真紀子の方を切って捨てた。この時、彼の云う省庁改革には実が無く、単に人気取り政策としてアドバルーン上げているだけのことが判明したのではないのか。世の中にはこういう所をしっかりと記憶しようとしない者が多いが、れんだいこは見逃さない。

 その後に外相となった川口の反吐が出るような米奴外交振りを見よ。小泉―福田ラインはこれがお気に入りで、為すがままに任せている。というか時には馬鹿にしきって頭越し外交しているが、もう誰も奇異さえ指摘しない。これほど外交が死んでいる時は無いが、監視役のマスコミのおべんちゃらがこれを促進している。マスコミのこの与党的体質は戦前も戦後も何ら変わらない、というか戦後50年を経て元の木阿弥に戻ってしまったのかも知れない。

 小泉の構造改革で一番合理性の認められる省庁改革でさえこのざまだとすると、後は推して知るべし。郵政省の民営化論を見よう。中曽根を陰の指南役として、国鉄の民営化を真似て押し進めようとしているが、どこに正義がありや。

 れんだいこには、郵政省―郵便局の敷設したシステムの優秀さが見えており、好んで民営化せねばならない必然性が見当たらない。振込み料の安さ、手続きの簡便さ、郵送ノウハウの確立等々評価することはあれど、これを無理やり民営化せねばならない合理性があるとは認められない。財源が旧大蔵省に握られるだけのことでしかないように見える。

 道路公団の民営化も然り。日本列島の主要な幹線道路は完了したが、まだまだ必要な道路計画は目白押しである。自然環境を壊さないという新たな負荷を抱えているが、より集約的な列島化を推進することがよくないなどという理屈はどこにも無い。

 瀬戸大橋公団の民営化も然り。民営化しようが公団方式であろうがどちらでも構わない。要は、お上が特権的に奢侈にふける構造にメスを入れればよく、赤字に無自覚な体質を手直しすれば良い。経営改善を願うなら、思い切って料金値下げすれば良い。往復3千円にして「料金3分の1、利用者5倍」化運動を起こせば良い。これを為す為さないは民営化論とは何ら関係ない。そういう肝心のところに手をつけず、民営化すれば全てメデタシの解決になるかのような幻想を煽っている。馬鹿馬鹿しいことこの上ない。

 住宅金融公庫、国民金融公庫、石油公団、奨学金制度の廃止策動なぞいずれも狂っている。誰がこういう馬鹿げた企みを指示しているのだろう。これらは戦後ハト派が営々と築いてきた正の遺産ばかりである。それぞれの内部の腐敗は別途処理の仕方があるだろうに。現代風アレンジは民営化とは関係なく為しえるはずだ。小泉内閣は、国策的に見て国家溶解政策を推進している風がある。靖国詣でによる右派的スタンスの演出に騙されてはいけない。

 公共事業の削減論も変調過ぎる。今こそ有効需要創出事業を生み出すべきだろうに。問題は、私的な利権での公共事業の創出など許されるものではなく、真に社会的に期待値が高いものであるのか又は社会整備基盤として国家百年の計から望まれているものに対しての投資的事業として役立てられるべきだ。世の中今がよければそれでよいという風にはいかない。日共式大削減論は犯罪的な票取り狙いの甘言に過ぎない。

 社会的影響が大きすぎるという名目での銀行、一部上場企業の救済にしばしば公金を使うなどということこそ抑制すれば良い。限が無いだろうし、何より銀行は既存のものはもう駄目で、新しいスタイルの銀行創出に向うべきだ。そして新融資方法を創造すべきだ。消費者金融の隆盛は如何ともしがたいが、何とかしてもっともっと低金利融資の道を拓くべきだ。

 何より軍事防衛費への惜しみない金遣いも問題だ。公共事業を削ってこういうところへばかり金を使い始め、国家債務が天文学的に膨らみ始めたらこの国はどうなるのか、自明では無いのか。

 小泉内閣は、こういう本質的なところに無力なというよりも逆のことばかりしているように見える。さて、それでもこの御仁の再選を見ねばならないのだろうか。それもこれというのもほんに情けない議員屋ばっかりになってしもうたことにこの腐敗がありそうな。

 もし民主党が政権を願うなら、小泉流構造改革論との内実の差が明示されねばならないと考える。言葉に酔わせるだけの無内容もしくは反動的政策などご免だという観点から日本再生計画の青写真を提起して欲しい。

 消費税問題も然りだ。段階的値上げ論が盛んだが、廃止論も視野に入れて検討すべきでは無かろうか。目的税にすると云うが、ならばガソリン税などの道路税が現行では目的税になっているが、一向に構わないのではないのか。それがなぜ駄目なのか合理的に説明してみよ。


 自民党総裁選:堀内氏不出馬 反小泉勢力の苦しい内情[毎日新聞8月23日]

 自民党の堀内光雄総務会長が23日、9月の総裁選に立候補しない意向を表明。これに対し党内の反小泉勢力は、苦しい内情を改めてのぞかせた。堀内派幹部でもある古賀誠前幹事長は、ベテランであり、党内に敵も少ない堀内氏を候補に担ぎ出し、橋本派や江藤・亀井派などとも連携して事前に候補を一本化する戦略を練っていたと見られるが、それが足元から崩れた形。逆に小泉純一郎首相再選への流れが強まる可能性がある。

 従来、小泉首相が経済政策を転換することを条件に再選を支持する考えを示していた堀内氏だが、一時は、「小泉再選阻止」に軸足を移したかのようにも見えた。一方、古賀氏らが堀内氏を推した場合には、出馬に意欲的な江藤・亀井派の亀井静香前政調会長も「年長の堀内氏なら、世代交代は加速せず、首相への道は残る」と見て、堀内氏への一本化に協力するとの見方も出ていた。

 しかし20日、「総裁選後の内閣改造で敵対勢力も起用する」という首相発言が伝えられると、堀内氏は一転して首相を評価。「堀内氏を反小泉勢力の統一候補に」という水面下で進めていた古賀氏の戦略が表面化し始めたこともあり、当初の予定を早め、この日、古賀氏らが直接、堀内氏と会って、早急に結論を出す必要に迫られたようだ。

 結局、堀内氏は、最大派閥の橋本派が、「小泉再選阻止」の野中広務元幹事長と、党内融和を図ったうえで首相の再選を目指す青木幹雄参院幹事長との間で意見が一致していない事情などを踏まえ、反小泉勢力一本化の実現に自信が持てず、むしろ青木氏との連携に傾いたようだ。

 首相再選を目指す森喜朗前首相は23日、「堀内さんを反小泉の中核にしていこうという動きがあったようだが、あったとすれば(堀内氏の出馬辞退がもたらす影響は)大きい」と語った。

 今後、古賀氏らは、亀井氏や、高村正彦元外相、河野洋平元外相らを念頭に、なお一本化を模索していくものと見られるが、堀内氏同様、「まとまっても勝てるか」という事情は同じ。事前に候補者を一本化するか、複数候補が乱立し、決選投票に持ち込んだうえで、「2・3位連合」を目指すのかの戦略も定かでない。【中川佳昭】



この政治スキャンダルを問え れんだいこ 2003/08/22
 2003.8.22日付け読売新聞は、「無断転載禁止」とした上で、「米に核カード堅持要請…政府、対『北』協議に備え」なる記事を公開している。それによると、北朝鮮の核開発問題に関する北京での6か国協議に当り、「日本政府が米政府に対し、核兵器の不使用を確約しないよう求めていた」ことが21日明らかになった、とある。

 ナンタルチアなことだろう、小泉政府の外交は既に狂いぱなし、としか思えない。れんだいこはそう訝るが、今のところこれが問題視されている形跡は無いようだ。読売記事はむしろかような政府の対応に理解のある風な書き方をしている。

 その理由付けがふるっている。日米安保で米国の保護下にある日本としては、米国の北朝鮮への核不使用宣明は米国の手足を縛ることになり得策ではない。むしろ、「日本の安全保障にとって重大な支障が出ると判断している」。

 小泉政府はそもそも、米国のクリントン前政権が為した1994年の米朝枠組み合意に不満がある。それによれば、北朝鮮の非核化が実現した場合の措置として、「米国が、米国による核兵器の威嚇もしくは使用はしないとの公式の保証を北朝鮮に対して与える」との条項が入っているが、これが気に入らない。

 「非核原則」を国是としている日本の政策は、米国の核戦力に依存する形で実現されている、その重石を取り外してくれるな、「核カード」を堅持して欲しい、というのが小泉政府のスタンスらしい。

 複数の日本政府関係者によると、今月13、14両日にワシントンで行われた日本、米国、韓国の3か国局長級協議で、藪中三十二外務省アジア大洋州局長がケリー米国務次官補(アジア・太平洋担当)に対し、核不使用を再び約束しないよう要請した、とある。

 藪中氏は、北朝鮮に対して、〈1〉侵略はしない〈2〉国連憲章が禁じる武力攻撃を行わない――との表現で安全の保証を約束することを提案した。国連憲章は自衛権の行使と国連安全保障理事会決議に基づく武力行使を容認している。「これ以外の武力行使をしないことは、国連加盟国として当然で、そのことを約束しても、支障はない」(政府筋)と判断したためだ、とある。

 全く出来レースの気がするが、これに対し、ケリー氏は「日本の提案に感謝する」と述べ、日本政府の意向を踏まえて6か国協議を進める方針だ、とある。

 世にさかしまという言葉がある。「非核原則」を国是としている日本の政策として米国にも核軍縮を要請するというのなら分かる。それを逆に、国是を守るために日本政府が率先して米国に核の保持と行使を担保するよう要請するなどというのは、これはスキャンダルだろう。

 以上から察するのに、小泉政府が、ブッシュが随喜の涙を流すような役回りをこなしている、つまりチンドン屋を演じていることが判明する。小泉は、一衣帯水の北朝鮮との国交を自力で打開できない。一国の首脳同士が手交した先の共同声明の重みなぞどこ吹く風の趣き加減だ。

 小泉はんはどうやら、米国、ロシア、中国の世話にならねばならぬことを恥ずるのではなく、米国に毅然とした態度を取るようお願いし、その遣り取りを楽しむのがオラのつとめだと合点しているらしい。

 それを思えば、れんだいこには日韓条約の様相が違う風に見えて来た。あれは日本政府と韓国政府が米国を上手にあやしながら成し遂げた偉業であった、のではないのか。なるほど同じ米国陣営だからというお目こぼしもあったのであろうが、米国にとって日韓の緊密化は危惧することもあったろうに。

 歴史は目くるめく。今や、当時の偉業精神を持ち合わせる者は居ない。誰よりもどこまでもブッシュ一途の競い合いに胸を張る被新植民地主義競争するしか能が無い手合いばかりになったようだ。これが戦後タカ派の正体だとするとえらいこっちゃな。


目下のチマチマな政治状況に寄せて れんだいこ 2003/08/18
 竹下派を論ずる場合、れんだいこはその愚かしさに怒りを禁じえない。竹下を評して「万死に値する」との書名が為されているが、当書の内容のお粗末さは別にして「万死に値する」との書名だけがかなり的確であると思っている。それはどういう理由によってかにつき、以下考察したい。

 竹下派とは何か。それがロッキード事件以来の喧騒と密接不可分なことは誰しも異存が無かろう。問題は、田中派を食い破って誕生した竹下派の功罪そのものの検証にある。大方の向きは、これを是とし、「悪の元凶」田中角栄の政治的クビキから自立したことを誉めそやしている。

 れんだいこは、ここを全く反対に観ている。竹下派とは、鉄の軍団田中派を解体させる為に仕組まれた謀略に基づき結成されたものであり、田中派内のお調子者竹下―金丸連合をけしかけ、その気にならせ、角栄の政治的影響力を殺ぐ形で利用され抜いた一派に過ぎない。

 これを思えば、二階堂らの殉教こそ美しく見える。

 その意味で、竹下派は約束通りに一旦は権力を取らせた貰ったものの、角栄が歴然と過去の人となったことが判然とするや風向きが変わり、用済みとばかりに叩かれ始め、後は政治的に惨めに棲息する限りにおいて延命が保証された。なぜなら、緩衝材的な役目が負わされたからである。竹下派に対しては総評これ以外に評すべくも無く、今日その通りに至っていることでも知れよう。その最後の末裔が青木であり、目下醜悪な政治的ピエロを演じている。

 この間、吉田茂を開祖とし、池田、佐藤を経て遂に田中―大平ラインに辿り着いていた戦後の保守本流派、その政治的特質をリアリズム的ハト派系と評することができるが、この系譜がズタズタにされ、政治のイニシアチブは対極的な戦前型の生粋保守本流派へと移行した。

 しかし、今思うに、戦後の我が国の政治的権力に発生したリアリズム的ハト派系は、多々欠点があったとはいえ、極めて有能にして政治の舵取りに巧みであったのでは無かろうか。このように観る人は少ないのかも知れないが。少なくとも人間というものその種族の生態というものを熟知しつつ政治に関わっていたように見える。

 しかし、そういう稀有な政治がロッキード事件の喧騒を通じて排斥されていった。この流れを創り出す触媒となったのが竹下派の形成であり、その功罪は、ハト派系を支持する者から見れば憎みて余りあり、タカ派系を支持する者から見れば「誉めて使わす、近う寄れ」てなところだろう。

 その変調さは、政治を論ずるときに道徳を持ち出し、道徳を論ずるときに政治を割り込ませるという詭弁操作によって押し進められて行った。今もその後遺症下にあると云える。というか全身に転移しつつありしたのかも知れない。これを俗に、自縄自縛と云うのだろう。

 その竹下派は現在、橋龍派に引き継がれている。橋龍、小渕と首相を輩出したものの、政治のイニシアチブは旧福田派、中曽根派に拝跪させられており、今や政治の高邁なとも云うべき思想的イデオロギー的な政争に関わる能力も無く、ただひたすら大臣病に侵されている。むしろ、矢面に立つよりは、小権力と利権が確保されればそれ以上望むことも無いというテイタラクを見せ、それを恥じる能力さえ持ち合わせていない。

 現下の政治のチマチマしたところの原因は、タカ派系の向米奴化と、ハト派系の相変わらずのと云うべきか非常に矮小化された好利権化傾向に由来しているように見える。これに抗する野党のお粗末さがこれを補完している。マスコミのお追従提灯が更に輪をかける形で補完している。これを思えば、我が国の政治的変革は絶望の淵にあり、突然変異の如きにして政治の新潮流が生み出されるか、革命派が俄かに台頭してくる以外に方途は無いように思われる。

 あぁ、「角栄的なるもの」が放逐され、「中曽根的なるもの」が支配し始めてはや三十年経てきている。この間、何ら機能しない大盤振る舞いが演ぜられてきた。これほど馬鹿な政治を続ければ不沈空母の浸水も已む無しというべきだろう。機を見るに敏な連中は、一層米奴化することで生き延びようとしているように見える。

 この間、見どころがあったと云えば、小沢―羽田連合の竹下派からの飛び出し、細川政変ぐらいであろうが、旧社共の馬鹿さ加減に因りこれを大きな政治的うねりにすることが出来なかった。あろうことか、日共辺りは、この動きに徹底抗戦する態度を見せ続け、政治の変動を封殺することに手を貸してきた。今にいたるも、この間の所業の反動的役割を正視し得ず、従って総括を為しえていない。時に、是々非々を云うかと思えば、名うてのタカ派を自称する石原都知事とのそれだったとは。

 れんだいこがなぜ、この時期にこの一文を書き綴りたかったか。それは言わずもがなであろう。

 2003.8.18日 れんだいこ拝


 2003.7.23日自民党は党本部で総裁選挙管理委員会を開き、小泉純一郎総裁(首相)が9月30日に任期満了を迎えることに伴う党総裁選を同8日告示、20日投開票の日程で行うことを決めた。25日の党総務会で了承を得て正式決定する。新総裁の任期は06年9月までの3年間となる。

 自民党は2002.1月党則を改正し、それまでの「1期2年、2期までの最長4年任期」から「1期3年、2期までの最長6年任期」に変えている。小泉首相が再選されると、任期が2006.9月までとなる。

 自民党の党則は適宜改正されているが、88年夏、中曽根首相時代2期4年の総裁任期を終えようとしていたが、衆参同日選挙で大勝し、話し合いにより任期が1年延長した例もある。





(私論.私見)