「73歳定年制を廻る動き」について |
自民党は、2003年の衆議院選挙を前にして、2003.3月、「衆院選比例代表の73歳定年制」を「原則的に」導入する方針を決定した。「世代交代の促進と党の改革イメージアップ」が錦の御旗であり、全国都道府県連幹事長会議でも73歳定年制の完全実施を求める意見が圧倒的に支持された。しかし、これには厄介な事情が横たわっている。 中曽根元首相(85)は、小選挙区比例代表並立制が導入された96.10月の衆院選で選挙区調整に応じ、当時の加藤紘一幹事長から比例北関東ブロックに回ることの引き換えに「比例終身1位」を約束された身であった。もう一人、宮沢元首相(84)も比例に廻っており、「73歳定年制」に抵触する。問題は、宮沢氏が中曽根氏を意識し、「同じ扱い」を要求し始め、こうして小泉政権は首相経験者二名の取り扱いに苦慮することになった。 つまり、「例外無し」論と「例外扱い」論との両論が渦巻き、両首相が出馬意思を明確にし始めたため容易な解決が見出されないことになった。自民党執行部は、最終判断を小泉首相に一任した。この問題が如何なる決着を見たのかその顛末を見ていくことにする。 |
【安倍晋三幹事長は、中曽根氏公認、宮沢氏切り捨てに動く】 |
2003.10.7日、自民党の安倍晋三幹事長は、「特に中曽根康弘元首相(85)については、党の約束を総合的に勘案しなければならない。(中曽根氏)本人の意思を尊重すべきだ」、「多大な党や国会への貢献、高い見識を持っているのは周知の事実。総合的に判断していく」と述べ、中曽根元首相を除外扱いする可能性を示唆した。安倍幹事長は、首相・総裁経験者についてと述べたが、宮沢喜一元首相(83)については具体的な言及を避けた。 |
【小泉首相は、両名とも切り捨てに拘る】 |
小泉首相は、当初は「本人の意志を尊重する」としていたが、「特例を設けない」に転換し、自発的引退を促し始めた。が、両氏とも立候補の姿勢を崩さず、調整が難航した。10.17日の党選対本部幹部会議でも進展せず、最終決着は首相がAPEC(アジア太平洋経済協力会議)首脳会議から帰国する22日以降にずれ込む見通しとなった。 首相は、「いずれにしても総裁に一任になっていますから、27日までに決着つければいい」と首相官邸で記者団に語った。首相が強引に決着を図ると、「猛反発を浴びかねない」(首相周辺)ことから、水面下で自発的引退を働きかけていくことになった。党最高顧問などの形で処遇する妥協案も取りざたされたが、中曽根、宮沢両氏サイドの反発は強く、決着のメドが見えぬまま持ち越されていった。かくて、「28日の総選挙の公示前に最終判断」となった。 |
【小泉首相が、両名と個別会談に入る】 |
10.23日、小泉首相は中曽根、宮沢両元首相と個別会談に入った。まず中曽根氏との会談に入った。会談は約20分間となった。小泉首相が「どのような立場でも発言や行動が注目され、影響力がある。そういう立場で今後も活動を願いたい」と引退を求めたのに対し、中曽根氏は、概要「断じて了承できない。約束を守ってもらいたい。あなたは本人の判断に従うと言ってきたではないか。(終身1位は)党の公約であり、守るべきだ。憲法と教育基本法の改正を目指してきた私の政治生活の総仕上げに入っている。国会議員を辞めることはできない」と拒否した。 宮沢元首相との会談は約10分間となった。宮沢氏は首相に対し概要「総理に恥をかかせるわけにはいかない。立候補を断念して党の若返りに貢献したい。総理が私のところに来ることが(引退の)きっかけとなった」と、要請を受け入れ政界から引退する意向を明らかにした。 会談終了後、首相は、「例外なく定年制を適用したい。今後も(自発的な引退を)お願いしていかざるを得ない」と記者団に語り、公認しない方針に変わりないことを強調した。会談後、首相は安倍晋三幹事長と対応を協議し、中曽根氏の公認を見送る方針を確認した。 |
【会談後の中曽根氏の記者会見】 |
中曽根元首相は次のように述べた。小泉さんの考えを聞いた。小泉さんは「中曽根先生は国内的にも国際的にも、どの地位にあっても、発言やら行動は皆さん注目し、皆、影響力を受ける立場にある。そういう形で、今後とも活動を願いたい」ということだった。
私は、その考えは了承できない。断じて了承しませんと(答えた)。二つ理由がある。一つは、政治家の使命感というものがある。マッカーサーの占領が解放されて以後、憲法改正、教育基本法の改正を訴えて50年間その使命感で一途にやってきた。教育基本法は次期国会に上程されようとし、憲法は来年は自民党が憲法草案を期する段階。最後の仕事が、いよいよ目の前に来た状況で国会議員を辞めることはできない。「小泉さんは、中曽根さんならばどこでも働けると言うが、そんなものではない。使命感と執念の問題だ」。 第二は約束は守ってもらいたい。平成8年(96年)11月に小選挙区制の時のことだ。群馬県では、小渕(恵三)さんと福田(康夫)さんを小選挙区に持って行くため、中曽根は北関東ブロックで終身最上位に置くということで最終的に橋本龍太郎総裁(当時)と加藤紘一幹事長(同)が裁定した。これは党の公約だ。 小泉さんは、インドネシア・バリ島でもタイ・バンコクでも、私と宮沢さんは「本人の意思による」と言い続けてきた。私はそれを信用した。ところが、今日突如お出でになった。こんな非礼なやりかたはないんじゃないか。総裁・総理経験者に対し、爆弾投げるようなもんだ。一種の政治的テロみたいなもんだ。 総理総裁の在り方は、非常に慎重を要する。深くいろいろ考えて、国や党の前途も考え、慎重に深い判断のもとに行動すべきもんだ。選挙という目前の利害だけで動かすと大きな誤りを犯す。党、国の誤りを犯すことになる。良く考え直してくれと(首相には言った)。 その上で、「どういう結果が出るか見極めた上で、小選挙区からの出馬も含めて、地元(群馬)の皆さんとも相談する」と述べた。公認されず、小選挙区から出馬する場合は、福田康夫官房長官のいる高崎市を中心とした群馬4区なども想定される。 |
記者会見の主な内容は次の通り。 ◆政治への使命感や情熱は衰えない。政治を刷新する重大な時に大局的見地で、政治のあり方を検討し将来の政界再編成も視野に入れて活動を続ける。国の基本である憲法や教育基本法は時代の変化に適合せず、改正は急務だ。今後も日本国家、国民のために一身を捧げる決心だ。 ――小選挙区から立候補しないのか。 ◆引退はしない。バッジはないが、政治活動を続ける。 ――安倍晋三幹事長からの報告は。 ◆一つ気になったのは選挙もこれあり、という言葉があったことだ。橋本龍太郎元首相の裁定を踏みにじるもので、承認できない。党の厳粛な正式決定を目前の利害や選挙のために蹂躙(じゅうりん)することは許されざることだ。自民党史でも汚点になる。山崎拓副総裁が「憲法や教育基本法問題で協力、指導を願いたい」と発言したそうだが、私は取り引きはしない。 ――小選挙区から出馬しない理由は。 ◆現役と戦わなければならないだろうし、迷惑かけたくない。 ――議員生活で最大の決断は。 ◆国鉄、電電公社、専売公社の分割民営化を必死になってやったことが記憶に残る。 ――心境を俳句で。 ◆暮れてなお命の限りせみ時雨、だ。 ――離党は。 ◆しない。 |
【会談後の宮沢氏の記者会見】 |
宮沢元首相は次のように述べた。 引退を決意した理由は「総理がおいでくださるということが現実のきっかけ。それ以外にはありません」と繰り返し、中曽根氏とは対照的に終始落ち着いた表情。若い世代の小泉首相に引導を渡されたことについて「特にどうってことはありません。年を取っていることは確かですからね」と述べ、「悔しさはあるか」との質問にも「こういうことはもう、決断の問題ですから」とサラリとかわした。 今後の政治活動として党の顧問などに就くことも「そういうつもりもない」と否定したが、「日本の経済はこういう状態だし、憲法も議論になるだろう。考えていることはいろいろあるが、いまは申し上げない。そういう心境」と無念さもにじませた。 宮沢氏の引退について、後援会幹事長で、おいの洋一前衆院議員の選対本部長を務める豊田國弘さん(61)は「21日に『国のためにこれからも続けたい』と電話で聞いていたので残念だ。地元への利益誘導ばかりの政治家が多い中で、国際感覚に満ち、公平な判断をする方だった」と惜しんだ。 溝手顕正・自民党広島県連会長(参院議員)は「総理の意向で抵抗出来なかったのでは」と推察し、「日本には総理経験者を優遇する方法がないが、何か考えなくてはいけない」。宮沢氏と同じ堀内派に所属する前国会議員も「定年制は原則として完全実施すべきだが、首相経験者の処遇をどうするのか。党本部は2人に対し、最高顧問などの役職と役割を考えてほしい」と話した。 [毎日新聞10月23日] ( 2003-10-23-15:42 ) 「総理・総裁に恥をかかせるわけにはいかない。自発的に立候補を辞退し、党の若返りに貢献をしたい」と申し上げた。気が変わったわけではないが、わざわざおいでくださり話があったので、総理には従うべきだと思った。 自分のことなので自分で決めた。(地元などへの連絡は)これからだ。(衆院選公示5日前の決着は)党内手続きであり、別に私側の事情ではない。世の中、年を取っておられる方にも健在であってほしいし、大事にしなければならないと思うが、それはそれとして、自分で判断しなければならない。 中曽根氏の引退拒否については「お立場の違う方でしょうから、申し上げることはありません」と短く語った。私も日本の経済とか考えていることはいくらもあるが、今は申し上げない。今後も国政には自然と関心を持ち続けるだろうが、表現する場があるとは思わない。首相にはまず、党の若返りを実現し、この選挙を勝ってもらわなければならない。そして、いろんな改革を進めながら不況を脱出することが大事だと思う、当面。 ほぼ50年ごやっかいになってきたが、やはり一番記憶残るのは安保。1960年の安保騒動は国の内外にとって非常に大きな出来事だった。たいした功績もなく50年が過ぎたが、皆さんからいろんなご厚意をいただいてありがたかった。 |
【中曽根氏、所属派内にも「引退論」強まる。選挙区出馬厳しい】 |
10.24日、小泉首相の引退勧告を拒否した中曽根康弘元首相は、都内の私邸や事務所で、地元後援会関係者らと対応の協議に追われた。ただ、自民党執行部が同氏を比例単独候補として公認しない方針を確認しているうえ、中曽根氏が所属する自民党亀井派内からも選挙区での出馬を疑問視する空気が強まっており、中曽根氏はいっそう厳しい状況に立たされた形だ。 中曽根氏はこの日午後、事務所を訪れた群馬県連幹部らに対し、「ボールは首相に投げている。回答を粛々と待っている」と述べた、という。夕方には事務所を出たが、記者団の質問には無言だった。 これに先立ち、県連の金田賢司副会長らは自民党本部に久間章生幹事長代理を訪ね、中曽根氏の公認を要請。久間氏は「総理総裁一任だから、要請があったことは(小泉首相に)伝えるが、非常に厳しい状況だ」との認識を示した。 また、亀井派の谷津義男事務総長は同日、中曽根氏の処遇について「あくまで(比例単独候補としての)公認を党執行部に求めたい」と述べ、比例代表名簿が発表される二十七日まで、同氏の公認を求める姿勢をみせた。 一方で「国や党のために尽くした人が無所属で選挙区から出馬するのはいかがなものか。議席というより、もっと広い見地から指導いただける面があると思うし、そうしなければならない」とも述べ、内閣への助言が可能となるポストが得られるならば、中曽根氏の引退もやむを得ないとの考えを表明した。 中曽根氏は首相と会談した二十三日に、群馬県の小選挙区からの出馬を示唆したが、地元では懐疑的な見方が大勢となっている。 同派はこれまで、中曽根氏の比例北関東ブロックでの公認を求めてきた。小泉首相の73歳定年制完全実施方針を受け、中曽根氏は小選挙区での出馬も検討したが、地元では困難との見方が大勢。中曽根氏が所属する亀井派の方針転換で、同氏はさらに厳しい状況に追い込まれた形だ。谷津氏は「もっと大きな立場で、ご指導いただける場もあると思うし、そうしなければならない。よく話し合っていただきたい」と強調。小泉首相と中曽根氏があらためて協議すべきだとの考えを示した。 |
【小泉首相が、中曽根元首相にポストを用意している発言】 |
10.25日、小泉首相は、自民党の定年制問題などに関連し「もちろん80歳以上の人も、元気なら頑張ってもらいたい。できるだけ知恵をお借りするように(したい)」と述べ、立候補辞退要請を拒否している中曽根康弘元首相について、議員引退後も、何らかのポストを用意するなどして処遇する考えを示唆した。 |
【中曽根氏、出馬断念気配濃厚になる】 |
自民党の中曽根康弘元首相(85)が衆院選の立候補を見送り、引退することが26日、確定的になった。小泉純一郎首相(総裁)ら党執行部は中曽根氏を登載しない衆院比例代表名簿を27日に正式決定する方針を崩さず、比例北関東ブロックからの出馬の道が閉ざされたのに加え、無所属で群馬県の小選挙区から立候補することにも中曽根氏周辺で反対論が大勢を占めたためだ。 中曽根氏は27日の党の比例名簿決定を受けて記者会見する方向で、公示日の28日には地元入りし、支持者らに経緯を説明する予定。所属する自民党亀井派の幹部は、小泉純一郎首相と中曽根氏の再会談を調整しており、党執行部も引退後に内閣顧問など何らかのポストで処遇することを検討している。 亀井派の亀井静香会長は26日、安倍晋三幹事長らと連絡を取り合い、中曽根氏の処遇ポストなどをめぐる首相との再会談の設定を協議。小泉首相は同日の日本テレビ番組で例外なく73歳定年制を適用する考えを強調し、公示前の中曽根氏との再会談は否定した。長男の中曽根弘文参院議員は記者団に「再考を求めて返事を待っていたのに名簿に載っていない形にするならば非礼なやり方だ」と述べた。 中曽根氏の公認問題では、小泉首相が23日に定年制適用の方針を伝え引退を求めたが、中曽根氏は拒否、群馬県の小選挙区からの立候補を検討する考えを示唆していた。群馬4区か5区からの立候補を模索したが、それぞれ自民前職の福田康夫官房長官と小渕優子氏が地盤を固めており、亀井派も無所属で出馬しても勝てる見込みが低いと判断。同派の谷津義男事務総長も引退はやむを得ないとの認識を表明していた。 |
【小泉首相、再度「公認せず」発言】 |
10.27日、小泉首相は、自民党の中曽根康弘元首相の公認問題について「自発的にご勇退していただけないかということを、期待していたんですけどね」と述べ、同日中に決定する自民党の衆院比例代表名簿に、中曽根氏を登載しない考えを改めて示した。首相官邸で記者団に答えた。
これに対し、中曽根氏の長男の弘文参院議員は同日、都内で記者団に対し「首相には間違った判断をしてほしくない。当然、公認するという話を持ってくると信じている」と述べ、首相に再考を求める考えをあらためて示した。弘文氏は自民党の比例名簿発表を受けて元首相が記者会見するかどうかについては「あとで相談する」とだけ述べた。弘文氏は1996年に元首相が比例北関東ブロックの「終身1位」に処遇されたことに触れ「約束を破ることができるのか。終身1位とは、出処進退は自分で決めるということだ。父は体力、気力をわきまえてやってきた」と指摘。 憲法や教育基本法の改正をめぐる議論が活発化していることを指摘した上で「父は『時間との戦いだ。これからもっと勉強しなければ』と言っている。いきなり辞めろというのは失礼な話だ。信義を守るかどうかが問われている」と強調した。 |
【中曽根氏、出馬見送り、引退表明する】 |
10.27日、中曽根元首相(85)が記者会見し、衆院選への立候補断念を正式に明らかにした。事実上の引退表明。自民党はこれに先立ち、中曽根氏を衆院選比例代表名簿に登載しないことを最終決定した。これにより宮沢喜一元首相(84)らと合わせ、同党の衆院比例代表の73歳定年制は完全適用された。定年制の例外なき適用は小泉純一郎首相(党総裁)の方針に基づく措置で、安倍晋三幹事長が中曽根氏を事務所に訪ね伝達した。
中曽根氏は47年に衆院選に初当選し、連続20回当選。82年に首相に就任した。 首相は衆院選を前に、49歳の安倍幹事長の起用と合わせ、定年制の完全適用で「党改革」のアピールを狙ったが、中曽根氏は強く反発。最終的には受け入れに追い込まれたものの、首相の対応が後手に回ったことで、衆院選に影響が出る可能性もある。 中曽根氏は会見で小選挙区からも立候補しないと言明。その上で「議員バッジは外すが、政界再編を視野に入れて政治活動を続ける」と意欲を示した。 小泉首相は比例代表名簿の決定後、記者団に対し「中曽根先生は議員の肩書がなくても活躍される方だから、今後もご指導いただきたい」と述べた。 首相は23日、中曽根、宮沢両氏と個別に会談し引退を要請。宮沢氏は受け入れたが、中曽根氏は1996年の候補者調整で同氏を比例北関東ブロックの「終身1位」で処遇するとの裁定を盾に拒否、再考を求めていた。 安倍氏は27日、既に引退を表明した宮沢氏に電話で定年制適用を正式に伝達。比例東海ブロック名簿の上位登載を求めていた杉山憲夫前衆院議員(73)にも定年制を適用した。 |
≪中曽根元首相の会見要旨≫ 中曽根康弘元首相の記者会見の要旨は次の通り。 中曽根氏は会見の冒頭声明を読み上げ、「政治に対する使命感や情熱は決して衰えるものではない」と政治活動からは引退しないことを強調。憲法改正、教育基本法の早期実現に向け「現役の議員諸君とともに全力を傾注したい」と述べたほか、「政治を刷新する重大なこの時に、大局的見地に立ち、将来の政界再編も視野に入れて活動する」とも述べた。 中曽根氏は会見前、都内の事務所に訪れた安倍晋三幹事長から公認見送りの報告を受けたが、党執行部に対し、「政治的テロだ」と改めて対応を批判し、「(平成八年の)政党の公約(裁定)が簡単に破られるのは自民党史の大きな汚点となる」と指摘した。 特に安倍氏と山崎拓副総裁に対し、「(安倍氏からは公認見送りの理由に)選挙もこれあり、という言葉があった。目前の利害、選挙のために蹂躙(じゅうりん)するのは許されない」「(山崎氏は)憲法、教育基本法の改正で指導を願うことも検討している、と言ったようだが、取引みたいなことをやりたくはない」と非難。小泉純一郎首相にも「党総裁として倫理観、道徳観を深く考えているのか疑問に思う。まあ、選挙に勝ってくれ」と皮肉まじりに語った。 自民党の安倍晋三幹事長から、比例代表候補として登載できなくなったと通知を受けた。小選挙区からの立候補はない。出ると現役の皆さんと戦わなければならず、気の毒な気持ちもあり、腹の中ではやらない方が良いと思っていた。(政界から)引退はしない。バッジはないが、引き続きいまと同じように政治活動を続ける。特に憲法や教育基本法の問題は議員と一緒に早期実現に努力する。将来の政界再編も視野に入れて活動を継続する。 離党はしない。私は自民党をつくった一人だ。若い議員の教育、育成に力を入れてやっていきたい。 (小泉首相の引退要請は)党の公約を踏みにじるもので承認できない。党の厳粛な決定を、目前の利害や選挙のためじゅうりんするのは許されない。政党の公約が簡単に破られることは自民党史の汚点になる。定年制を設けること自体、官僚的な発想で承知できない。若くても能力のない人、年をとっても若い人の2、3倍働くことができる人もいる。選挙民が判断すべきことだ。 (小泉首相に対しては)選挙に勝ってくれ、と思う。政党の総裁として、党の権威や価値観、倫理観、道徳観を深く考えているのかどうか疑問に思う点がある。年寄りは引っ込めという安易な民衆迎合のにおいを感じる。品のない目先のことだけ考えるようなことでいいのか。幹部会で山崎拓副総裁が「憲法や教育基本法の問題でご協力を願うことも検討したい」との発言があったと聞いた。取引みたいなことには耳を貸さない。(いまの気持ちを俳句で言えば)「暮れてなお 命の限り せみ時雨」。 |
【中曽根元首相、地元後援会で改めて「無念」】 |
10.28日、中曽根元首相は、衆院比例選で公認されず、議員引退が決まった地元の群馬県高崎市内で開かれた後援会の緊急総会に出席し、約500人の支援者らを前に「議員はやめるが政界は引退しない」と語った。会場からはすすり泣きの声も漏れた。 中曽根氏は、最後まで公認を求めていた自民党の衆院選比例名簿に登載されなかったことについて、「今まで信じていたことが1日でひっくり返され、ほっぽり出されることになった」と憤りを隠せない表情で語り、改めて小泉首相を厳しく批判した。 また、長年取り組んできた憲法改正と教育基本法改正が政治日程に上っていることを挙げ、「これは国会議員でなければできない。そういう志を遂げることができずにこんなに残念なことはない」と無念を隠せない表情で述べたが、今後については、言論や執筆で政治に対して発言を続ける決意を表明した。 |
中曽根元首相:定年制の導入「私の見方は甘かった」 「確かに甘かったかもしれません。私は善人ですからね」 衆院議員を引退した中曽根康弘元首相は7日、東京都内の日本記者クラブで会見し、自らの議員引退の経緯をこう振り返った。小泉純一郎首相が、自民党の比例代表候補への定年制を例外扱いして、公認してくれると思い込んでいたと言いたかったようだ。 ただ、首相の政治手法は「パフォーマンス政治」と断言して、「国家像、思想、哲学など、(人間としての)根深さがない」と酷評。この日寄せた揮毫には「まつりごと さだめきびしく 秋深し」としたため、議員引退に追い込まれた無念さをにじませた。 一方、福田康夫官房長官は同日、群馬県藤岡市で開かれた自身の決起大会で「不手際があってですね、中曽根元首相にご迷惑をおかけした。残念なことでありました」と同郷の先輩に気遣った。【岩崎誠】 [毎日新聞11月7日] ( 2003-11-07-21:18 ) |
(私論.私見)