32533931 スターリン履歴

 スターリンの名前はジュガシュビリ。グルジア語で「イスラエルの息子」という意味。「ジュガ」がイスラエル人を指し、「シュビリ」が息子という意味。スターリン一族は、19世紀初頭にキリスト教に改宗したコーカサスの山嶽ユダヤ人。


 ロシア帝国時代、ロシア帝国の秘密組織オフラナに所属していた。若き日、ロンドンに派遣され、密かにロスチャイルドと接触し、二重スパイになることを承知した。バクー油田で働き、経営陣に入るほど頭角を現した。銀行破りギャングの履歴をも持つ。

 これに関連して「バクー油田開発とノーベル」は次のように記している。
 ロシヤ帝国での石油産業の市場は厳しく、国民の大半の人びとは石油を買うことすら出来ませんでした。そこで石油業者は市場を外国に求めました。カスピ海を北上するノーベルのルート対抗して黒海の町までの輸送手段として鉄道建設(バクーからバツーム)を計画しましたが、その資金がありませんでした。そこに現れたのが、マイヤ・ロスチャイルドです。ノーベルの成功に刺激され1886年に莫大な資金を投入し『カスピ海・黒海会社』を設立しました。アドリア海の製油所を買い取りロシアから原油を運ぶ計画を考えました。ノーベルとの戦いになり、シェル石油も絡んできます

 その若き活動家の卵の中に、「コバ」と呼ばれる男がいました。彼こそ、後に『ヨシフ・スターリン』と呼ばれる男でした。彼は、ロスチャイルド家に対するストライキをはじめ石油産器用相手のストライキの首謀者となりました。

 1905年10月ストライキはロシア全域に広がりました。燃え盛る油井の火が地獄のごとく煙の雲の中にたちあがりました。その後一旦スターリンは投獄されますが、やがて出獄し政治、社会の大変動がロスチャイルド家、ノーベル家をロシアから追い出すこととなります。以後、ロシアをはじめ東欧諸国は社会運動の坩堝に巻き込まれていくのです。国家は石油なり、社会主義国家建設の国威高揚から石油産業を描く切手は社会主義国
に多く発行されました。

 
バクーの労働者を扇動し、投獄されたスターリンは、40年後、ソ連の指導者となった彼はこの同じ油田を侵攻してきたドイツ軍から守ることになる。バクーが確保できなかったことはドイツにとって致命的な打撃となっりました。ロシアはこの労働争議を国民の目からそらす為に日露戦争に積極的に迎えたといわれています。何時の時代も内政問題を外に向けるものです。しかし、日露戦争には敗れ、労働争議は悪化しニコライ皇帝は窮地に陥ります。1917年11月6日ロシア革命への道へと進みます。ノーベル家、ロスチャイルド家は育て上げたロシアの石油産業から追放されることになりました。

 第十章 ナポレオン対ロスチャイルド





(私論.私見)