3253398 メーデー考

 (最新見直し2005.12.24日)

 「セクション A - アナキズムとは何か?」のA.5.2 ヘイ・マーケットの犠牲者」から学ぶ。とりあえず転載させていただく。

 社会主義者の祭典であるメーデーは、元は1886年、8時間労働を目指して戦う労働者を組織した4人のアナキストの処刑が起源である。1886年5月1日、アメリカ労働総同盟(AFL)は、8時間労働の要求を支持するストライキの呼びかけを発した。シカゴではアナキストが組合運動の主力であったが、シカゴの組合が、この呼びかけを「5月1日にストライキを実行すること」と解釈したのには、それにも原因の一端があるかもしれない。このストライキの最中に、警察の蛮行に抗議する集会が呼びかけられたが(警察がピケを襲撃して、一人の死者が出ていた)、それも警察の襲撃によって粉砕される。警官が群衆に向かって発砲を始めたとき、警官の隊列に一発の爆弾が投げ込まれた。そのため、よく知られていたアナキストは全て逮捕された。州法務官は、「まずやっつけろ。法律は後から調べればよい」と警察に指示していたのだった。

 8人のアナキストが殺人の共犯者として裁判にかけられた。被告人たちは、爆弾を投げたとか計画したとかを問われたのではなかった。陪審員たちには、次のように告げられた。『法律など問題ではないのです。アナーキーが問題なのです。被告人たちは大陪審が選び出したのであり、彼らは、彼らが指導した群衆以上に罪があるわけではありませんが、リーダーであったから起訴されたのです。陪審員紳士の皆さん、彼らに有罪を宣告してください。彼らを見せしめにすることによって、我々の組織、我々の社会を救うのです。』
 陪審員はビジネスマンたちで構成されていたし、そのうちの一人は死んだ警官の親戚だったのだから、被告人たちが有罪を宣告されたのも驚くには当たらない。判決は、7人が死刑、1人が禁固15年というものであった。
 国際的な抗議運動によって、死刑判決を受けた7人のうち2人は終身刑に減刑された。5人のうち1人は執行の前日に自殺し、死刑執行人を出し抜いた。1887年11月11日、残された4人は絞首刑にされた。彼らはヘイ・マーケットの犠牲者として、労働史に名を残すことになった。

 犠牲者の一人、アルパート・スパイスは、死刑判決を受けた後、法定で次のように陳述している。

『私たちを死刑にして労働運動を踏みにじれると思うなら・・・虐げられた数百万の人々から発する運動、悲惨と欠乏で苦しんでいる数百万の人々から発する運動を踏みにじれると思うのなら、死刑にするがいい! ここで、あなたたちは火花を踏み潰す。しかし、そこでもここでも、あなたたちの後でも前でも、どこでも、炎は燃えあがるだろう。火は地下で燃え広がっている。それを消し去ることはできやしない。』

 時が来れば、国家と資本主義に対するこの挑戦的態度が、何万ものアナキズムを勝利させるものであったことがわかるであろう。特に、アメリカにおいて。

 「国家やビジネス階級は、なぜ、シカゴのアナキストを死刑にすることにこだわったのか?」
 それを解するためには、彼らが、強力で急進的なシカゴの組合運動の「指導者」であると見なされていたことを知らねばならない。1884年、シカゴのアナキストたちは世界最初のアナキスト日刊新聞「シカゴ・アルバイター・ツァイトゥンク」を発刊した。この新聞を書き・読み・所有し・発行したのは、ドイツ移民からなる労働者階級運動であった。日刊紙・週刊紙(Vorbote)・日曜版(Fackel)の合計発行部数は、1880年の13,000部から、1886年には26,980部へと、倍以上に増加していたのである。同じように、他のエスニック・グループ向けのアナキスト週刊紙も存在していた。

 アナキストたちは、中央労働組合(CLU)の結成についても非常に積極的であった。犠牲者の一人、アルバート・パーソンズの言葉によれば、それは『未来の「自由社会」の胎児集団だった。』シカゴのアナキスト運動は、組合だけを組織していたわけではない。彼らは、ピクニック、講座、ダンス、図書館などの社会的なサークル活動なども組織していたのである。こうした活動に助けられて、人々は彼らの「アメリカン・ドリーム」的な心の中に、労働者階級の革命的文化を育んでいたのである。支配者階級はそれを恐れた。支配システムは巨大になりすぎていたので、それが続くことを許そうとはしなかったのである。(特に、1877年の大労働反乱の記憶が新しかったこともある--このストライキ運動について詳しくは、J Brecher著、Strike!を参照。ヘイ・マーケット事件についても同様) そのために、弾圧・でっちあげ法廷・そして国家と資本家階級が運動の「指導者」と見なした人たちへの国家殺人がなされたのである。





(私論.私見)